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INTRODUCTION
イントロダクション

稀有な新人監督の誕生

市山 尚三 / 東京フィルメックス ディレクター

『僕はイエス様が嫌い』のことは、7月の終り頃、サンセバスチャン映画祭がラインアップ発表するまでは知らなかった。日本映画が選ばれることはそれほど多くはない新人コンペティション部門にその作品が入っているのを知った東京フィルメックスのスタッフが連絡先を探し、奥山監督本人からまだ完成前のバージョンのリンクが送られてきた。そして、私はその最初の数ショットからこの映画に魅せられた。

映画は主人公の祖父が部屋に一人でいるところをとらえたショット(このショットは、後にラストで違った形で繰り返されることになる)に始まり、雪景色の中を走る列車に乗る主人公・ユラのショットにつながる。それに続く家の玄関のショット。つまり、これから自分が暮らすことになる家にユラが到着したことを示すショットだが、このショットはカメラは家の中から玄関口をとらえた状態でフィックスされ、そのままワンカットで終わる。この極めてシンプルなショットを見た時、この監督はただ者ではないという予感が私をとらえた。そしてその予感は、一切揺らぐことなく最後まで貫かれた。

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玄関の場面のようなシンプルなショットは、その後のこの映画の中で至るところに現れる。映画の主要な舞台学校内のシーンは、その大半が対象から適当な距離をとったフィックスの長回しで撮られている。凡庸な監督であれば、途中で俳優の表情をとらえるために寄ってしまうようなシーンでも、このカメラは微動だにしない。

一見すると、このような撮り方は簡単にできるかのように思えるかもしれない。確かに、カメラ位置を決め、俳優にそのシーンの内容を説明し、後はスタートとカットをかけるだけ、という撮り方なのだから、いかにも簡単に撮れそうである。だが、事態はそう単純ではない。シンプルであればあるほど、そこに何か小さな問題が起こった場合、取り返しがきかなくなる。また、長くカメラを回すことにより、そこに弛緩する瞬間が入り込む危険性を完全に排除することは難しい。長いカットを続けて見せながら観客の関心を持続させることはそう簡単ではない。

こう考えた時、『僕はイエス様が嫌い』が見せる揺るぎない確信に満ちたショットの積み重ねがいかに例外的なことであるかに気づくだろう。しかも、それらの中にはいたずらに自己主張するようなこれ見よがしなショットは一つもない。映画のストーリーを語るにはこれだけで十分とばかりに簡潔なショットが積み重ねられ、観客を映画に自然と引き込んでゆく。ここには、もはや新鋭監督の瑞々しさ、といった言葉では説明できない何かがある。もちろん、それは円熟の境地といったものでもない。こうすればストーリーを語ることができる、という最小限のものがそこには展開されているのである。この簡潔さはこの映画にある種の品格の高さを与えているように思う。極小のイエス様が主人公の前に頻繁に登場するという一種のギミックすら、奇を衒った印象は薄く、慎ましいとさえ言えるほどである。

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映画を見終わった私は、この作品が奥山大史という大学を卒業したばかりの監督が自ら撮影を兼ねて学生の仲間たちと撮ったものであることを知った。これが弱冠22歳の大学生によって監督されたことは驚きであったが、同時に、この若い映画作家が撮影者として既にキャリアを踏んでいるという事実は、ある意味で納得のゆくものであった。どこにカメラを置くべきかを決断することは、簡単に見えて決して簡単ではない。実際、プロの撮影の現場においても、監督と撮影監督との間でカメラを置く位置について意見が食い違い、撮影が中断することは珍しくない。その点、奥山監督は、カメラをどこに置くか、ということについて確信をもって臨んでいるように見える。もちろん、カメラを置きさえすれば後は黙っていても映画が出来上がるわけではない。カットを割らないと決めている以上、そこには演出上の計算も含まれているはずである。そして、この映画全般に展開される子供たちの自然な演技は、カットを割らないという決定がいかに妥当であったかを十分に証明している。

奥山監督が今後どのような方向に進むのかは今のところわからない。だが、自らの世界を貫くインディペンデント映画作家の道を目指したとしても、逆に、商業映画の世界に身を投じたとしても、自分が撮ろうとする映像に確信を持って臨めば、どのような状況にも対応できるだろう。そのようなことを考えさせてくれる稀有な新人監督の誕生である。

国籍を越えて伝わる
人間への確かなまなざし

中山 治美 / 映画ジャーナリスト

 随分と、日本映画の国際映画祭初上映に立ち会ってきた。よく”スタンディング・オベーション○分!”が評価のバロメーターのように報じられるが、ンなもん当てにならない。会場にいる監督・出演者が退場しない限り拍手を送るのが一種のマナーだし、日本の映画会社に懇願されて”忖度”する時もある。だが『僕はイエス様が嫌い』の時は違った。

 場所はスペイン・バスク地方で開催される第66回サン・セバスチャン国際映画祭。丘に立つキリスト像がシンボルになっている街で、日本人監督による英題『JESUS』への関心は高く624席の会場は満席。そして上映が始まるや、チャド・マレーン演じるちっちゃいイエス様が登場したり、主人公ユラが実に子どもらしいお願いをイエス様にする度に笑いが起こるのだ。三池崇史監督作や『カメラを止めるな!』のようなウケを狙った作品を除いて、日本映画の上映ではなかなか見られない光景だった。

 それもそのはず、キリスト教徒にとってイエス様は神聖な存在で、一緒にお風呂に入ってひよこちゃんの上に乗せたり、ましてトントン相撲をさせてイジるなんてあり得ない。でも観客は、それはミッション系の学校に通いはじめたばかりのユラの幻想であることもちゃんと理解している。何より描こうとしているテーマは、マーティン・スコセッシ監督が『沈黙-Silence-』で挑んだテーマと同じ”神の沈黙”。巨匠が歳月と大金を賭けたのに対し、新人監督が子どもを起用して軽やかに描いてしまったのだ。上映後に自然と沸き起こったヤンヤの喝采は、心からの賛辞であることが見て取れた。

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 そもそもサン・セバスチャン国際映画祭で、日本の新鋭監督の作品が選ばれるのは珍しい。同映画祭は歴史も古く、カンヌ、ベルリン、ベネチアに続いて権威ある国際映画祭と称されるが、映画業界関係者が多いそれらの映画祭とは違い、観客は圧倒的に地元住民だ。映画祭側は訴求力のある著名監督やすでに欧州の映画祭で話題になったもの、あるいはその国の文化を感じる作品を優先して選ぶ。日本で言えばアニメーションや時代劇となる。まして『僕はイエス様が嫌い』が上映された新人監督部門は、スペインと同じラテン・カルチャーを持ち、貧困や犯罪を圧倒的なリアリズムで描く南米やフィリピンの作品が選ばれてきた。同部門が1985年に創設されて以来、選ばれた日本作品は、NHKエンタープライズ所属という映画界とは一歩距離を置いた高橋陽一郎監督『水の中の八月 Fishes in August』、欧州の恋愛劇を描いた濱口竜介監督『PASSION』、末期ガンを宣告されてからキリスト教の洗礼を受けた父親の最期を追った砂田麻美監督『エンディング・ノート』での3作品しかない。同部門の選考委員を務めたロベルト・クエトも『僕はイエス様が嫌い』を選んだ理由について、キリスト教という自分たちにも理解しやすい題材だったことを明かしている。ぶっちゃけ、国内外を飛び回っている彼ですら、「日本でミッション系の学校があるなんて知らなかった」とか。

 もちろん、選ばれた理由はそれだけではない。今の日本映画全体で疎かになっている精神が、大きく2つここにはある。それは新たな映像表現の追求と、人間の根本的な営みである食シーンのこだわりだ。

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 特に前者は、世界的にミニシアターが減少し、映画祭もシネコンが会場となっている今、画質や音響といった品質の差が顕著に現れてしまう。ポストプロダクションに時間も予算もかけず、PC画面上だけで仕上げをしてしまう日本の自主映画が、国際舞台になかなか出ていけない理由の一つでもある。さらにデジタルから3D、4Kへと技術が年々更新されている時代だ。カナダの気鋭監督グザヴィエ・ドランは『Mommy/マミー』で、物語の途中で画角を変えることで主人公の心情を表現し、アルファンソ・キュアロン監督は『ゼロ・グラビティ』で主人公同様に観客に宇宙空間を体感させるために撮影機材の開発から行っている。撮影カメラマンとしても才能を発揮している奥山監督がそこに鈍感であるはずがなく、物語が自身の小学生時代の体験がベースと、一昔前の時代設定となっていることから、ホームビデオを再生しているようなスタンダードサイズの画角を選んだという。日本から同様のチャレンジ精神を持った監督の出現に、映画祭プログラマーたちが反応しないワケがないのだ。

 その中で繰り広げられる人間ドラマの基本となるのが、後者の食だ。食は侮れないもので、例えばフランシス・F・コッポラ監督『ゴッドファーザー』シリーズでは、イタリアらしくファミリーの結束力を象徴するかのように食卓を囲むシーンが度々登場する。本作の場合は、共働きの両親に変わってユラの成長にとって、祖母の影響の大きさを示すかのようなおばあちゃんの手料理だ。聞けば、奥山監督の実母が料理コーディネーターとして奮闘したという。

 日本映画の歴史を振り返ってみても、小津安二郎も是枝裕和も、食卓のシーンに並並ならぬこだわりを持つ監督が世界で支持をされてきた。それはひとえに日々の生活で何を大切に生きてきたかの現れで、それは国籍を超えて伝わるものである。世界を目指すなら、まずは足元を見つめる。計らずにも奥山監督がそれを示したのだ。